MISO Soup
忘却の彼方
んー。
なんか最近、イヤイヤ病。

わたしは時間の使い方が下手なのだなと反省する昨今。だらだらと勉強をしてここに書きたいと思ってたことも忘れて友達と会う時間も作れない。ひきこもりっぱなしでイヤイヤ病になるよー。

イヤイヤ病とは口数が増えその内容や思考自体がなにかの批判や重箱の隅つつきばかりになってゆくこと。
いけません。自分の好みや価値観についてとうとうと語ったところで枕草子を気取れるわけでなし、これはただのかまって病です。人と口をきく際には「自分」の枠から外に出ないと会話というコミュニケーションにはならないのです。

余裕のないときに陥りがちな事態。
人を自分の枠の中に引き込んでしまって、常に自分を主軸に置いてしまう事態。多角的な視点をと努めることを忘れずに。批判や苦言に条件反射的に反発してしまうことを抑えられますか。

って、それは心がけていて度々実行できてなかったりするんだけども、それ以前に自分の考え方や行動理念そのものについて批判や苦言を呈されることってないんだよなあ。大体の人はそうだと思うけど。

最近思ったことだけど、わたしが「この人、こういうとこがちょっと…」と思っても、その人には言ってもわからないと思ったら言わない。それを指摘して真意が伝わるように努力することが面倒ならば言わない。そのうち環境が変わったとき学べばいいと思えば言わない。このままの価値観が許される環境で暮らす人ならば詮の無いことだと思えば言わない。

いやらしいけど、自分にとってのその人の価値を測って理解力を推測して決めるんだよなあ。関わりのある人を批判するのってしんどいから。

逆もまた真なり。

わたしの場合批判にしろその逆にしろ単なる自分の考えにしろ、少し根の深いところにあることについて人と話すときの基準ってのがあって、その優先順位のいちばん最初は理解力だ。これは自分と近い思考回路を持ってるかどうかってのも含むんだけど。

なんでも面白がったが勝ちだな。
この人は何を言われても面白がって聞きそうだという認識さえあれば、そんなせせこましい秤を見なくて済むんです。なんの話してんだかわかんなくなってきた。
言ってもわかってもらえないだろう人には言わない。面倒だし誤解されるのが嫌だから、誤解を生まないだろう共通認識の上澄みだけを選んで言葉にする。今思えばこれって、コミュニケーションの努力を放棄したとっても失礼な態度かもしれない。が、自分と脳の仕組みが近い人というのはそれはそれで多く語らなくても伝わるし、そういう人ってなんか勘で集まってるもんなんだよなあ。いや、会話というのはそもそも自己対他者の共通認識がどこまで成立しているかって話なのかも。言葉を使わなきゃ会話はできないけど、ひとつの言葉で伝わることがずれすぎてたら会話にならない。自分が発した言葉がどういうふうに相手に伝わるか、その確認方法としてわかりやすいのが、何をどのように好きか何がどのように嫌いかっていうものだな。それがお互い理解できるところにあったなら、使用可能な言葉が一気に増えて色んな会話が成立するんだ。その共通認識の基となるのは個人の視点で、それは磁場みたいなもんだと思う。それが広ければ広いほど共通認識の幅は広がるし繋がりは膨らむ。磁場を言い換えれば「聞く耳」か。そしてその共通認識の存在如何に関わらず理解したいと思うこと、その感情は愛情だ。ってもうほんとなんの話してんのかわかんなくなってきた…最近書いちゃあ更新に至ってない記事はこんなんばっか。これを評してイヤイヤ病だと最初言ったんだけど、なんのこっちゃかぜんぜん客観性がねえよっていうな。客観性がなく主体性がないゆえに終わらない物思い…秋っぽい…
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