冒険家。
さっきそのへんでごろごろしてたら、ふと
中学生のころの文化祭の公演を思い出して。
故人ですが、河野兵市さんという愛媛の冒険家の方でした。
北極点到達だかなんだかで全国ニュースになっていたので
おぼろげに記憶にある人も居るかもしれません。
その公演の内容はろくに聞いてやしなかったので覚えてませんけど、
なんか寒くてち○こが縮むからどこに行ったかわかんなくて
おしっこすんのも一苦労だったって話しか覚えてない。
「へえ、そうなんだ」て思って(笑)
どこに行ったかわかんなくなるもんなんだなーと。新鮮じゃない?(聞くな)
それで、お金持ちでもなんでもない人だったので、なんだっけ。
「ずっとお金がなくって、それでも無理して色んなところに行ってたんだけど
北極点に行ったら、目立ちました。
北極点に到達したら、スポンサーが出来ました。
南海放送(地元テレビ局)も出してくれたし、お金が出来ました」
っていう風に言ってたし、学校でもカンパ募集してた。
覚えてんじゃんって話ね。うん。
なんか、すごい生身だなあと思ったから覚えてる。
その何年か後、覚えてないけれどどこか寒いところで通信が途絶え、
彼は氷の中で発見されたそうです。
父曰く、「自分の金でやってないから、やばいと思っても戻れなかったんだろう。 スポンサーに申し訳が立たなくて無理してしまう。 こんな道楽は人の金でやるもんじゃないってことだ」ということでしたが。確かにそうだけども。うちの父は苦労人なのでとってもひねくれてるのであれです。それでも、学校に行けば「河野さん死んだなー、めっちゃショックや」って言ってる人も居た。それって大体、男の子だったんですけど。なんだろうなあ、ロマンかなあ。「北極点に行った」「シーカヤックで世界一周した」って、その事実だけに酔えるもんかなあ。わかんない。そこに山があるからさ。あっても登んねぇって。きっと綺麗な山だって思うならそれを見たいっていうのはわかる。登ることが目的になるっていうのは、わかんないなぁ。その事実に動かされる心を上手に描いて伝えてくれればとても感動するかもしれないけど。表現手段。絵、音楽、文章、映像。そういうものに変換してくれないと、わたしの心は動かないようです。ダイレクトな事実だけじゃあ、どうも。事実を感情に変化させる。その事実を捉える網の目が細かくある。そういう人が、表現者としての芸術家なんだろうしわたしがいつも憧れるのは、やっぱりそういう人たち。その変化の過程で、どういう作品ができあがるかどういう感情が込められるか、その対象によって好き嫌いができあがる。こんな正体も知れないわけわかんないものが好きだから駄目なのかなあ。いいんですけどね。わたしがゲームにはまらないのはそれが事実だけだからと思います。クリアしたっていう。それがどうした。嬉しいのはわかるけど。それより、その嬉しいっていうのをこっちに伝えるために苦労して表現されたものの方が好き。冒険家のひとって、普通の人にはない体験をしてるんだから材料はたくさんあるんだろうけど、表現者じゃないんだなあ。表現するための冒険と冒険するための冒険。やってることは同じなのに、勿体無いな。やっぱり、表現する人のほうが人に寄り添ってるんでしょう。遥かに認知度が高い。それで、こんなに長々と書いて思ったのは、感情を動かされることばかりに貪欲になって、自分で努力してないな、と。自分の感情はどうした。ってわけで、しっかりとゆったりしてみようかな。と思いました。今はiTUNEをインストールしてiPod miniかiPod shuffleを買おうかとうんうんうなっているだけです。