…ちょっと浮かれてみようと想って。
今日もまた眠れないので地震の話をすこし。
昨日(というか、一昨日)の地震で想ったのは
ここでひとりで死んだら親不孝だなあ、
なんてことだったんですけど
今日大家さんとお話をしたら
「昨日怖かったやろー、
1回目のは私甲子園行っててわかれへんかってんけどな(笑)
2回目のはわかったわー、けどここは多分大丈夫や、
そのために建てたんやから。もう埋まるん嫌や」
ということで、このマンションは平成9年築なんで、
もしかしたらそうかなとは想ってたんだけど
1回震災のときに崩れたようです。
…両隣が結構古い様子だから
大丈夫だったのかなって想ったんだけど…
あれ、でもどうなんだろ。
わからんけど、当然相当酷かったんでしょう。当然。
今日行った学校の講師さんも
「あのときは家の前のビルが崩れて、
瓦礫の下から助けてって声が聞こえてきて
ほんとにそこここで助け合う感じだった」
と言っていました。
神戸の人たちが地震で思い出す記憶は
ひどく痛ましい。
でももう10年経つから、備えは必要。
って言ってるんだよね。
日本人はこうやって自然の脅威を必死にくぐり抜けながら
それでも郷土を愛し、健気に生きてきてる。
そういうこころは根付いてるはず。
見つけて、大切に。いつもね。
それにしてもほとんど災害のない地域でわたしは育って、台風でもせいぜい駐車場の屋根が飛ぶくらい。災害の記憶と言えば小学生のときの極端な水不足、(ダムの底がひび割れてた、水位はマイナス。19時間断水のとき)それと、高校生のときの芸予地震くらいかな。言っても震度5だったからちょっと慌てたくらいで済んだ。ほんとに災害の記憶がないんだ。あの渇水だって私は当時松山に住んでなくて、その隣の伏流水のある町に居たから5時間断水と取水制限くらいで、祖父母の家やら父の会社、友達んとこがえらいことになってたなくらいの。トイレまで風呂の水バケツで運んでから流したとか運動会のリレーが中止(足洗えないから…)とかそんくらいの地域だったからなあ…松山市内は給食がパンと牛乳オンリーなんてことになってたけど。でも渇水は「呆然」とするようなタイプの災害ではないし。橋本龍太郎の弟(当時の高知県知事)が水わけてくれたんだっけ?くれなかったとこもあるけど(笑)、限界になったらしぶしぶでもどっかが援助してくれるから干上がることはまず無いし。渇水じゃ人死なないんだよね。モノも壊れない。大切なものを失うこともない。うーん。だからか、私はひどく呑気です。地震に備えて携帯ラジオと携帯の充電器、買っとくべきかしら。何もって逃げたらいいのかな。とりあえず携帯。と財布、通帳?多分このへん無理だな。咄嗟には。混雑時でもEメールはまだ届く確率が高いんじゃないかなあなんか1回そんなことがあった記憶が。防災バッグなんてつくってないよ。